日光東照宮と輪王寺、世界遺産の社寺を巡る定番日帰りプラン


神橋は、これから世界遺産の社寺めぐりへ向かう玄関口に架かる、朱塗りの橋です。大谷川に架かるこの橋は「日本三大奇橋」の一つといわれる名橋で、建造物としては二荒山神社に属し、東照宮・輪王寺とあわせて「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されています。橋の起源には、奈良時代の末、日光を開いた勝道上人がこの急流を渡れずにいたところ、深沙王という神様が現れて2匹の蛇を放ち、その背から生えた山菅が橋になったという伝説が伝えられています。現在の姿になったのは寛永13年(1636)の東照宮大造替の折で、その後明治35年(1902)の洪水で流されたものの、明治37年(1904)に再建され、今日まで大切に守られてきました。

日光山輪王寺は、天平神護2年(766)、勝道上人が建てた四本龍寺を始まりと伝える寺院です。その後平安時代に来山した慈覚大師円仁によって三仏堂・常行堂・法華堂が建立され、天台宗の大寺院として発展してきました。本堂の三仏堂は、東日本で最も大きな木造建築の一つとも紹介される壮麗なお堂で、現在の建物は正保2年(1645)、徳川家光の寄進によって完成したものです。幅33m・奥行25m・高さ26mという大きさで、千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音という三体の大きな仏様が祀られ、それぞれ男体山・女峰山・太郎山という日光の山々を表しているとされています。境内の堂塔と15の支院からなるこの輪王寺全体も、「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されている貴重な文化財です。参拝の際は、静かに、敬意をもってお参りしましょう。

日光東照宮は、徳川家康の遺言を受け、2代将軍秀忠が1617年に「東照社」として創建し、後に3代将軍家光の手によって、今に伝わる豪華な社殿へと改修されました。見どころの一つが陽明門で、施された彫刻の見事さから、一日中眺めていても飽きないという意味で「日暮門」とも呼ばれ、門全体でおよそ508体もの彫刻が確認されています。神厩舎に彫られた三猿もぜひ注目してみましょう。8つの場面で「人間の一生」を描いた物語のうち、これは幼少期にあたる第2場面で、悪いことを見ない・言わない・聞かないという教えが込められていると伝えられています。奥に進み、眠り猫のわきを抜けて207段の石段を上ると、家康公が眠るとされる奥宮にたどり着きます。この東照宮を含む二社一寺は、1999年12月に「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されました。参拝の際は、静かに、敬意をもってお参りしましょう。表参道沿いには、日光名物の湯波を使った料理を出す店が多く並んでいるので、ここで昼食をとりましょう。
大猷院は、三代将軍・徳川家光の廟所です。承応2年(1653)に造営され、22件の国宝・重要文化財と315基の灯籠からなる仏寺式の建築群が今に伝わっています。「祖父・家康を凌いではならない」という家光の遺言から、東照宮に比べて金と黒を基調とした重厚で落ち着いた造りになっているといわれ、参道もまっすぐではなく折れ曲がって配置されています。見どころの一つが夜叉門で、四体の夜叉が霊廟を守るように祀られ、牡丹の花の彫刻から「牡丹門」とも呼ばれています。仁王門・二天門を抜け、本殿・相の間・拝殿へと続く構成も見応えがあります。徳川家光公の廟所ですので、静かに、敬意をもって見学しましょう。

日光二荒山神社は、社伝によれば767年、奈良時代の末に勝道上人が創建したと伝えられており、御神体は日光連山の主峰である男体山そのもの(標高2,486m)です。大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の三柱を親子の神様として祀り、古くから「下野国一の宮」として崇敬を集めてきました。境内で特に人気を集めているのが、神門の前に立つ「縁結びのご神木」です。杉と楢という異なる木が一体となって育った珍しい姿をしており、「好き(杉)なら楢(なら)一緒」という語呂合わせにちなんで、縁結びのご利益があるとされています。神橋・輪王寺・東照宮・大猷院・二荒山神社は、いずれも1999年に登録された「日光の社寺」という一つの世界文化遺産を形づくる、大切な構成資産です。参拝の際は、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
滝尾神社は、日光二荒山神社の別宮で、女峰山の鎮守とされる神社です。二荒山神社本社から緑豊かな参道を歩いて向かう、静かな祈りの場です。表参道でにぎわう社寺とはまた違った、落ち着いた雰囲気の中でお参りすることができます。参道の石畳や石段は滑りやすいところもあるので、足元に気をつけて歩きましょう。参拝の際は、静かに、敬意をもってお参りしましょう。

含満ヶ淵(憾満ヶ淵)は、慈雲寺の境内から大谷川沿いに広がる景勝地です。承応3年(1654)に晃海僧正がこの地を開いたと伝えられ、川沿いには「化け地蔵」と呼ばれる地蔵の列が並んでいます。かつては100体ほどあったとされますが、明治35年(1902)の洪水で一部が流され、現在は70体ほどが残っています。何度数えても数が合わないことから「化け地蔵」と呼ばれるようになったという説があります。松尾芭蕉もこの地を訪れたと伝えられています。川沿いの岩は滑りやすく流れも速いので、川には近づかず、遊歩道を歩きましょう。歴史ある地蔵の列ですので、静かに、敬意をもって見学しましょう。

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