冬の金閣寺と北野の梅。京都・洛北をめぐる日帰り旅


京都市バスの「金閣寺道」で降りて、歩いておよそ8分、金閣寺に着きます。正式な名を鹿苑寺といい、応永4年(1397)に室町幕府3代将軍・足利義満が、西園寺家の山荘を譲り受けて山荘「北山殿」を造り始めたのが始まりとされます。義満の死後、遺言によりお寺となり、義満の法号「鹿苑院殿」から2字をとって鹿苑寺と名づけられました。舎利殿「金閣」は、1層が寝殿造の法水院、2層が武家造の潮音洞、3層が中国風の禅宗仏殿造の究竟頂と、3つの様式を重ねたつくりです。雪の日には、白く雪をかぶった金閣が見られることもあります。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、タクシーでおよそ9分、龍安寺へ向かいましょう。

金閣寺からタクシーでおよそ9分、龍安寺に着きます。石庭は、わずか75坪の白砂の空間に、大小15個の石を配した庭です。室町時代につくられたと推定されていますが、作者は誰なのか、どんな思いを込めたのかは今もわかっていません。石庭に残る「小太郎・口二郎」の刻印も、作者の名かどうかは定かでないとされます。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いておよそ16分、仁和寺へ向かいましょう。
仁和寺からタクシーでおよそ9分、北野天満宮の近くで、昼食にしましょう。この後は、歩いておよそ5分、北野天満宮へ向かいましょう。

昼食の場所から歩いておよそ5分、北野天満宮に着きます。菅原道真公をまつる、全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社です。天暦元年(947)、お告げにより平安京の北西にあたるこの北野の地に創建されました。梅は道真公がこよなく愛した花と伝えられ、境内にはおよそ50種・1,500本の梅があり、2月から3月にかけて花を咲かせます。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」は、道真公が大事にしていた梅の木に語りかけるように詠んだ歌です。毎年2月25日には、およそ900年の歴史をもつ梅花祭が行われます。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いておよそ6分、上七軒へ向かいましょう。

北野天満宮から歩いておよそ6分、上七軒に着きます。北野天満宮の東参道に広がる、京都最古の花街とされる町です。室町時代の文安元年(1444)、北野の社殿の修築で残った材木で、東門前に7軒の茶店を建てたのが名の由来と伝えられます。天正15年(1587)に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いたとき、七軒茶屋の名物の御手洗団子をほめたと伝えられ、上七軒の「五つ団子」の紋章はこの団子にちなみます。石畳とお茶屋が並ぶ町並みを、静かに歩きましょう。この後は、歩いておよそ10分、千本釈迦堂へ向かいましょう。

上七軒から歩いておよそ10分、千本釈迦堂(大報恩寺)に着きます。本堂は、棟木に残る墨書から安貞元年(1227)の建立とわかっていて、京都の市街にある最古の建築とされ、国宝に指定されています。本堂を建てるとき、棟梁の妻おかめが知恵を出して夫を助けたと伝えられ、境内には、そのおかめにちなむ像が立っています。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いておよそ13分、平野神社へ向かいましょう。
千本釈迦堂から歩いておよそ13分、平野神社に着きます。もとは平城宮の宮中にまつられていたとされ、延暦13年(794)の平安遷都と同時に、この平野の地に移されました。桜の名所として知られ、平野神社から広まった早咲きの「魁桜」が咲き出すと、都のお花見が始まるといわれます。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いておよそ9分、わら天神宮へ向かいましょう。
平野神社から歩いておよそ9分、わら天神宮に着きます。正式な名を敷地神社といい、安産・子授けの守り神とされる木花開耶姫命をまつっています。安産のお守りのわらに節があれば男の子、なければ女の子が生まれるという言い伝えがあります。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。帰りは、わら天神前のバス停まで歩いておよそ3分です。

京都府・伏見・宇治1泊2日
京都府日帰り
京都府1泊2日
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