安倍晴明神社と住吉大社、阿倍野から住吉へ古社と古墳を歩く日帰りプラン


JR阪和線の南田辺駅から歩いておよそ11分。桃ヶ池は古くからある池で、上町台地と我孫子丘陵のあいだの低い土地にあり、かつては猫間川につながっていたといわれます。「脛ケ池」「百ケ池」「股ケ池」など、いくつもの書き方で「モモが池」と呼ばれてきました。池のほとりには小さなお社もあります。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
桃ヶ池公園から西へ歩いておよそ17分。陰陽道の祖として知られる安倍晴明をまつる神社です。社伝では、平安時代の寛弘4年(1007年)に一条天皇の命により創られたと伝えられ、今の社殿は大正14年(1925年)に造り直されたものです。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
安倍晴明神社から南へ歩いておよそ3分。「阿倍権現縁記」には仁徳天皇が開いたと伝えられ、古代にこの地を本拠とした阿倍氏が建てたという説もあります。平安時代に熊野詣でが盛んになると、熊野九十九王子の第二王子社としてにぎわいました。このあたりには、大阪の八軒家と紀州の熊野三山を結んだ熊野街道が通っていました。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
阿倍王子神社から南へ歩いておよそ22分。昭和15年(1940年)6月に開かれた、広さ約4.4haの公園です。池のまわりには桜が植えられ、春の花のころには、池に浮かぶ小島から花の景色を眺められます。公園の近くの帝塚山三丁目には、路面電車の阪堺電車が走っています。住吉区を南北に走るこの電車は、1900年に大阪馬車鉄道として開業したのがはじまりです。池のまわりを歩いてみましょう。
万代池公園から西へ歩いておよそ13分。大阪市内に残る4つの古墳の一つで、5世紀ごろの前方後円墳が、ほぼもとの形のまま残っているとされ、国の史跡に指定されています。葬られた人はわかっていませんが、近くに住まいがあった豪族・大伴金村の墓という説があり、地元では浦島太郎の墓とも言い伝えられています。外の道から墳丘を眺めましょう。古墳のまわりでは、静かに過ごしましょう。
帝塚山古墳から北西へ歩いておよそ15分。延喜式神名帳(927年)にも名が見える古い神社で、江戸時代には住吉大社の摂社でした。檜皮ぶきの本殿は、正面の千鳥破風や扉の飾りに桃山時代の華やかな様式を残し、大阪府の有形文化財に指定されています。境内のクスノキなどの木々は、大阪市の保存樹林になっています。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
生根神社から南へ歩いておよそ15分。南海本線の粉浜駅と住吉大社のあいだに続く粉浜商店街のあたりで、昼食にしましょう。地元の人の暮らしの場でもあるので、通行のじゃまにならないように歩きましょう。
粉浜商店街から南へ歩いておよそ10分。社伝では神功皇后摂政11年(211年)にまつられたと伝わる、摂津国一之宮の神社です。4棟の本殿はどれも大阪湾のある西を向いて建ち、神社建築の中でも最も古い様式の一つといわれる「住吉造」で、いずれも国宝です。正面の池に架かる「反橋」は、長さ約20m・高さ約3.6mで、いちばん急なところは約48度の傾きがあり、今の石の橋脚は、淀君が豊臣秀頼の成長を願って奉納したと伝えられます。反橋は傾きが急なので、手すりを持ってゆっくり渡りましょう。門の閉まる時間は、公式の案内で確かめましょう。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
住吉大社から南へ歩いておよそ7分。住吉大社の境外末社で、「住吉の弁天さま」ともいわれ、芸能や美容の守り神としてあがめられてきました。このあたりには古くから「浅澤沼」があり、カキツバタの名所として万葉集にも詠まれています。今も毎年5月ごろ、社を囲む池にカキツバタが咲きます。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。
浅澤社から西へ歩いておよそ12分。明治6年(1873年)の太政官布達を受けて、同じ年の8月に開かれた公園で、大阪で最も古い公園とされます。開かれたときは住吉大社の社域の全域が公園とされ、のちに社域と分かれました。公園の中を東西に通る「潮掛道」は、昔は住吉大社へお参りする船人などが歩いた参道でした。西の端に立つ高燈籠は、昭和49年(1974年)に復元されたものです。帰りは南海本線の住吉大社駅まで歩いておよそ7分。

大阪府日帰り
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