南朝ゆかりの古刹めぐり、吉野の歴史をたどる日帰り旅

大和上市駅でレンタカーを借り、車でおよそ10分、金峯山寺近くの駐車場に車を置いて、歩いておよそ20分、如意輪寺に着きます。延喜年間(901〜923)に開かれたと伝わる古刹で、吉野に逃れた後醍醐天皇の勅願寺となりました。後醍醐天皇はここで生涯を終え、本堂の裏手に葬られました。都のある京の方角を一心に見つめるようにと、天皇陵には珍しく北を向いて築かれたと伝えられる「塔尾陵」です。宮内庁の管理地のため、柵の外から静かに見守りましょう。正平2年(1347)、後醍醐天皇の志を継いだ楠木正行は、四條畷への出陣を前にこの寺に立ち寄り、如意輪堂の扉に、生きて戻らぬ覚悟の辞世を矢じりで刻んだと伝えられています。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いておよそ10分、吉水神社へ向かいましょう。

如意輪寺から歩いておよそ10分、吉水神社に着きます。もとは金峯山寺に仕える僧坊「吉水院」でした。延元元年(1336)、京を追われた後醍醐天皇は、ここを仮の御所としました。南朝の皇居となった建物として、今に伝わる唯一の例とされています。この一室から、およそ60年続いた南朝の歴史が始まりました。その後、安土桃山時代には豊臣秀吉が花見の本陣としてこの地に滞在し、明治の神仏分離を経て今の神社となりました。境内から見渡す桜は「一目千本」と呼ばれ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いておよそ10分、金峯山寺へ向かいましょう。
吉水神社から歩いておよそ10分、金峯山寺に着きます。修験道の総本山として、古くから多くの修行者を迎えてきた霊域の中心です。後醍醐天皇が都を離れてこの吉野を選んだのも、こうした信仰の力に守られた土地だったからともいわれます。本堂の蔵王堂は、木造の古建築としては屈指の規模を誇るとされる国宝建築で、堂内には秘仏として金剛蔵王権現が三体安置されています。南朝の時代から今日まで、変わらず多くの祈りを見守ってきた場所です。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、歩いてすぐ、吉野山の参道へ向かいましょう。
金峯山寺から歩いてすぐ、吉野山の参道に着きます。昔から続く土産物店や食事処が軒を連ねる通りです。店をのぞきながら歩き、好みの一軒で昼食をとりましょう。この後は、駐車場の車に乗り、車でおよそ35分、賀名生の里歴史民俗資料館へ向かいましょう。
金峯山寺から車でおよそ35分、賀名生の里歴史民俗資料館に着きます。資料館のそばには、南朝の後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇が、仮の皇居として住まいとしたと伝わる「賀名生皇居跡」があります。もとは堀家の住宅で、今も建物が残っています。資料館では、南朝にまつわる資料とともに、この西吉野の山里で暮らした人々の民具や、山仕事の道具などを見ることができます。吉野山で祈りを捧げた後醍醐天皇の志が、山深いこの地でどのように受け継がれていったのかを、あわせてうかがうことができます。休館日は公式サイトで確かめましょう。この後は、車でおよそ15分、栄山寺へ向かいましょう。
賀名生の里歴史民俗資料館から車でおよそ15分、栄山寺に着きます。養老3年(719)、藤原武智麻呂が創建したと伝わる寺院です。境内の八角堂は、武智麻呂の子・藤原仲麻呂が、亡き父母をしのんで天平宝字4年(760)ごろに建てたと伝えられ、法隆寺の夢殿とともに、奈良時代の八角堂建築の姿を伝える貴重な遺構として、国宝に指定されています。南北朝の時代には、後村上天皇や後亀山天皇の行宮(仮の皇居)が置かれたとも伝えられ、その跡地は国の史跡に指定されています。吉野で始まった南朝の歴史が、この地にも及んでいたことがうかがえます。簡素な姿の中に奈良時代の建築の味わいが残る、静かな境内を歩いてみましょう。今も祈りが続く場所ですので、静かに、敬意をもってお参りしましょう。この後は、車でおよそ8分、五條新町へ向かいましょう。
栄山寺から車でおよそ8分、重要伝統的建造物群保存地区の五條新町に着きます。旧紀州街道沿いに、江戸時代の重厚な商家の町家が軒を連ねる、歴史ある町並みです。平成22年(2010)に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。格子窓や虫籠窓など、当時の商家の意匠を眺めながら、通りをのんびりと歩いてみましょう。今も人が暮らす町並みなので、静かに歩き、家の敷地に入ったり住民の方を撮ったりしないようにしましょう。見学を終えたら、車でおよそ3分、JR五条駅へ向かい、レンタカーを返しましょう。

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