坂の上の雲ミュージアムと子規記念博物館、松山文学散歩1泊2日

この旅は電車と歩きでめぐります。伊予鉄の松山市駅に11時ごろ着いたら、歩いて約20分。秋山兄弟生誕地は、日露戦争で活躍した軍人・秋山好古と秋山真之の兄弟が生まれた場所です。2人の生家を復元した建物には、資料や写真が展示されています。小説『坂の上の雲』の主人公として知られる2人が、少年時代を過ごした松山の空気を感じてみましょう。

秋山兄弟生誕地から歩いて約6分。坂の上の雲ミュージアムは、松山出身の秋山好古・真之兄弟と、正岡子規の3人の生涯を通して、近代国家へと成長していく明治日本の姿を描いた小説『坂の上の雲』を、まち歩きとともに紹介する『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想の中核施設として、平成19年(2007)に開館しました。建物は建築家・安藤忠雄氏の設計によるもので、平成16年(2004)から平成18年(2006)にかけて建設されました。地下1階から地上4階まで、各階が一続きのスロープでつながる造りになっており、坂の上に見える一朶の雲を目指してのぼっていった小説の主人公たちの姿に思いを重ねて設計されたと伝えられています。展示は毎年テーマを変えており、3人の足跡や、彼らが生きた明治という時代を多角的に紹介しています。
ミュージアムから歩いて約3分。萬翠荘は、大正11年(1922)に竣工した、フランス・ルネッサンス風の洋館です。旧松山藩主の子孫で伯爵の久松定謨が別荘として建て、設計は建築家の木子七郎が手がけました。松山で最も古いとされる鉄筋コンクリート造の建物で、マンサード屋根と尖塔が特徴です。玄関には大理石の床と岡山産・万成石の柱、階段には継ぎ目のない南洋チーク材の手すりが使われ、各部屋には色違いの大理石のマントルピース、踊り場の大窓には職人・木内真太郎によるステンドグラスが飾られています。現在は国の重要文化財に指定され、美術館として公開されています。このあと、歩いて約9分の大街道で昼食にしましょう。
萬翠荘から歩いて約9分。大街道の商店街のあたりで、昼食にしましょう。
昼食のあと、大街道から歩いて約15分。二之丸史跡庭園は、松山城の二之丸跡に平成4年(1992)に整備された庭園です。発掘調査で見つかった大井戸などの遺構とあわせて、茶室も設けられています。正岡子規は明治24年(1891)、この城を「松山や秋より高き天主閣」と詠みました。松山城の石垣を間近に望みながら、静かなひとときを過ごしてみましょう。

二之丸史跡庭園から歩いて約13分、本丸の天守へ。松山城は、賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる武将・加藤嘉明が築いた城で、山頂の本丸まではロープウェイやリフトで上ることができます。正岡子規や夏目漱石も松山城を句に詠み、明治の文人たちにも親しまれてきました。天守からは、松山の市街や瀬戸内の海まで見渡すことができます。天守の中は急な階段が続くので、足元に気をつけましょう。
松山城から歩いて約20分。愚陀佛庵は、夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任していたころに下宿していた建物です。正岡子規も52日間居候し、俳句結社「松風会」の句会がたびたび開かれました。この時期の交流は、漱石の文学に大きな影響を与えたと伝えられています。建物は松山市二番町にあった上野義方邸の離れでしたが、戦災で焼失。その後、萬翠荘北側に復元されたものの土砂崩れで倒壊し、令和8年(2026)に松山市立番町小学校のプール跡地に新たに再建されました。1階の和室は、当時のように句会や茶会に利用できる部屋として再現され、隣接する母屋ガイダンス棟では、漱石と子規の交流を紹介する展示を見ることができます。休館日は公式サイトで確かめましょう。
愚陀佛庵から歩いて約11分。子規堂は、正岡子規が17歳まで過ごした住居を、正宗寺の境内に復元した文学資料館です。現在の建物は3代目で、初代は昭和8年(1933)の火災、2代目は昭和20年(1945)の松山大空襲で、それぞれ焼失しました。昭和23年(1948)には愛媛県指定史跡となっています。館内には、子規や、親交の深かった夏目漱石らに関わる原稿や写真などの文学資料が展示され、子規が使ったとされる机も見ることができます。境内には、子規の「旅立ち」の像や、坊っちゃん列車の客車も置かれています。お寺の境内にあるので、静かに、敬意をもって見学しましょう。この夜は、道後の宿に泊まりましょう。

愛媛県日帰り
香川県・高松3泊4日
愛媛県・西条日帰り
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