鶴ヶ城と七日町通り、定番の会津若松さんぽ日帰りプラン

天守閣から歩いてすぐ、千家ゆかりの茶室です。天正19年(1591年)、千利休が豊臣秀吉に死を命じられたとき、利休の茶道が絶えるのを惜しんだ会津城主・蒲生氏郷が、利休の子・少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願い出ました。そのときに建てたのがこの麟閣と伝えられています。少庵はのちに許されて京都へ帰り、千家を再興しました。
鶴ヶ城から車で約15分。約600年前の室町時代、会津守護職の葦名盛久が、霊泉の湧くこの地に別荘を建てたのが始まりとされる庭園です。会津松平藩の藩祖・保科正之が大名庭園として整え、2代藩主の正経は、疫病から領民を救うための薬草の研究に薬草園を設けました。戊辰戦争のときには、ここで新政府軍の病人の治療も行ったため、戦火に巻き込まれずに往時の姿をとどめています。江戸時代の代表的な大名型山水庭園として、国の名勝に指定されています。
御薬園から車で約15分。西郷頼母邸を中心に、家老屋敷や中畑陣屋など数々の重要文化財から、武家の時代の暮らしをしのべる施設です。館内には音声ガイドがあり、展示内容を分かりやすく解説しています。お食事処もあるので、ここで昼食にしましょう。歴史的な建物のゾーンには階段や敷石、段差があるので、足元に気をつけて歩きましょう。
武家屋敷から車で約20分。墓所へは急な石段を上るので、足元に気をつけて歩きましょう(石段のわきにはスロープコンベアもあります)。戊辰戦争のとき、会津藩の若い藩士たちで編成された白虎士中二番隊は、戸の口原の合戦場から退き、この飯盛山にたどり着きました。山の中腹には、戊辰戦争で亡くなった白虎隊士の墓が並びます。のちに隊士の一人、飯沼貞吉が語り残したことで、その物語は広く知られるようになりました。墓前では、春と秋に墓前祭が行われます。墓所は祈りの場ですので、静かに、敬意をもってお参りください。
飯盛山から車で約15分。毎月七の日に市が立ったのが名前の由来で、藩政時代には会津若松の西の玄関口としてにぎわった通りです。今も蔵造りの店や洋館が軒を連ねるレトロな町並みで、近くの野口英世青春通りとともに、会津の民工芸品の店や酒蔵が並びます。旅の最後に、会津のお土産を選びましょう。お酒は20歳から。車を運転する人は、お酒を飲んではいけません。

福島県・会津若松3泊4日
福島県・会津若松日帰り
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