鬼ヶ城と獅子岩、熊野灘の奇岩絶景を巡る1泊2日

熊野市駅に10時30分ごろ着いたら、駅の近くでレンタカーを借りて(手続きに15分ほど)、車で約9分の大泊海岸へ。1日目はここから出発します。鬼ヶ城のすぐ北に広がる、汀線およそ300メートル、砂浜の幅およそ30メートルの海岸です。白い砂浜のすぐ後ろに緑の山々が迫る、熊野灘らしい景観が広がります。この後は車で、楯ヶ崎へ向かいましょう。
大泊海岸から車でおよそ20分、楯ヶ崎に着きます。高さおよそ80メートル、周囲およそ550メートルにおよぶ、玄武岩でできた大岩壁です。柱状節理と呼ばれる、規則正しい柱状の割れ目が発達しており、熊野灘に楯を並べたように見えることから、この名がついたと伝えられています。平安時代の歌人・増基法師も、紀行文の中でこの岩壁を「神のたたかひたる処とて、楯をつらねたるやうな巌どもあり」と詠んでいます。神武天皇の東征の際の上陸地の一つとも伝えられ、遊歩道の途中には、熊野灘で遭難したという神武天皇の兄・三毛入野命を祀る阿古師神社もあります。断崖の縁には近づかず、遊歩道から眺めましょう。遊歩道は起伏があるので、歩きやすい靴で歩きましょう。駐車場から遊歩道を歩いて、荒々しい柱状節理の岩壁を眺めましょう。この後は車で、鬼ヶ城へ向かいましょう。

楯ヶ崎から車でおよそ20分、鬼ヶ城に着きます。鬼ヶ城の入口のあたりで、昼食もとりましょう。熊野灘に面した海岸に広がるこの奇岩群は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産、熊野参詣道伊勢路の一部となっています。かつてこの一帯は「鬼の岩屋」と呼ばれていましたが、戦国時代の1523年頃、有馬忠親がここに城を築いたと伝わることから「鬼ヶ城」という名前になったとされています。さらに古い言い伝えでは、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂が、この地を根城にしていた海賊・多娥丸を討伐したという伝説も残されています。波の力と風の作用によって削られた波食洞が階段状に連なる海岸線は、1935年に国の天然記念物に指定されました。頂上へ向かう道には約2,000本・4品種の桜が植えられており、種類によって開花の時期がずれるため、長い期間にわたってお花見を楽しめるのも魅力です。およそ1kmにわたる遊歩道沿いには、大小さまざまな洞窟や奇岩が連なっており、足元に気をつけながら、荒々しい岩肌と熊野灘の景色をじっくり眺めましょう。この後は、熊野古道伊勢路の松本峠まで、歩いて約29分です。
鬼ヶ城から歩いておよそ29分、世界遺産・熊野古道伊勢路の松本峠に着きます。苔むした石畳が今も残る峠道で、両側に築かれた石垣とともに、古道らしい風情を今に伝えています。峠には高さおよそ135センチの大きなお地蔵さまが立っており、江戸時代初期、薄暗がりの中で猟師が妖怪と見間違えて鉄砲を撃ったという言い伝えが残り、その弾痕が今も残されています。峠から東へ少し歩いた先にある東屋からは、熊野古道伊勢路随一ともいわれる絶景が広がり、幅およそ30メートルの七里御浜が、新宮の方角まで25kmにわたって続く様子を一望できます。この後は、峠を下って木本神社へ向かいましょう。
松本峠から歩いておよそ12分、木本神社に着きます。もとは「若一王子権現」と呼ばれ、新田地区から現在地へ遷座したと伝えられる神社です。現存する最古の棟札は慶長年間(1596-1615)のもので、江戸時代の初めにはすでにこの地にあったことがわかります。安政2年(1855)、紀州藩が木本を含む一帯を新宮藩の水野家に引き渡そうとした際、住民による大規模な一揆「安政の村替え一揆」が起こりました。その際、藩士・吉田庄太夫の尽力によって引き渡しが取りやめになったと伝えられ、境内には庄太夫を祀る吉田大明神の小さな祠も残っています。静かに、敬意をもってお参りください。木本の町の歴史に触れながら、1日目を締めくくりましょう。この夜は、熊野市の宿に泊まりましょう。

三重県日帰り
三重県・熊野日帰り
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